【ホステスの読書日記:新約聖書1】キリスト教ってなんなのさ。
マイブームの佐藤優氏の本を読み進むにつれて、これだけ頭のいい人が信じる宗教ってどんなものだろうと気になり、一度くらいは聖書読み通してみようかな〜なんて気分になり、銀座の教文堂をうろうろしていたら、佐藤優コーナーの一角に佐藤優氏の監修の新約聖書が…!
さすがはキリスト教書店、商売上手というか、布教のプロというか。。
まぁちょうど探していたとこだし、これも何かのご縁よねと早速購入。笑
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私自身は、「神様というか人間を超越した何かはいる」というのは漠然と感じているけれど、物心つき始めたくらいの時期にオウム真理教みたいなカルトっぽいのが幅を利かせていたから、宗教って怖いものと思って、特にどの宗教・どの宗派にも深入りせずで来てしまった感じ。
ただ、西洋美術大好きだし、海外旅行も愛してやまないし、西洋の思想のバックボーンに触れたらまた見える世界も変わってくるかなという下心も大いにある。笑
↑もはや懐かしのイタリア旅行の思い出。笑
この新約聖書は、序盤とそれぞれの福音書の前に佐藤優氏の文章で小ネタ的な序文が挟まれてて、それだけでも買った価値あったかなぁと思う。笑
イエスとは、当時のパレスチナにおけるごく普通にある男子の名だ。キリストとは、当時、この地域で話されていたアラム語で「油を注がれた者」を意味するメシーハーのギリシア語訳である。ユダヤでは、王、幹部の祭司、卓越した能力を持つ預言者には油が注がれた。
そこから、油を注がれたものとは、救済主(メシア)を意味するようになった。イエス・キリストという表現は、「イエスという男が私の救済主である」という信仰告白を意味する。
by.新約聖書P7
ただね、毒麦のたとえ*1みたいに思わず背筋が伸びるような話だとか、サロメの元になっている逸話とか目から鱗が落ちるような話も多いけど、結局のところのメッセージの核がどうにも肚落ちしない・・・。
「神の国」とは、神が主として支配することを意味する。人間による支配の民主主義とは対極にある神権政治が「神の国」なのである。キリスト教は性悪説に立つ宗教なので、人間により理想的な社会や国家ができるとは考えない。神の支配がもうすぐ実現するのだから、人間は悔い改め、その支配を受け入れる準備をせよというのがイエスが伝えたメッセージなのである。
by.新約聖書P7
というのも、未熟者すぎて神の国の良さがどうにもこうにも想像できないのよね。
神が抽象的概念や理念にととどまらず 、具体的形をとるところにキリスト教の特徴がある。人間を救済するために、神がイエスという人になったのだ。(中略)この世界は、悪と苦しみが蔓延する闇によって支配されている。その闇の中に神が降りてきた。
(中略)イエスの出現によって人間は二者択一を迫られる。神に従うか髪を拒否するかである。(中略)神に従うという決断をした人間は、イエスをひな形とした生き方を目指すことになる。具体的には、いくつかの選択肢がある場合、もっとも困難な道を選択することだ。他の人々の困難を共有することによって、「神が私たちと共にある」という現実を知ることができる。
by.新約聖書P261
しかも、困難を通してしか神が私たちと共にあるという感覚を得られないなんて、なんて過酷な教えなのよ。能天気な私からしてみたら、全然救済される感じしない・・・。
ただ、「この困難を共有することで神が私たちと共にある現実を知る」という感覚は、「沈黙」の牧師の感覚なのかしらね。
とりあえず、聖書は世界観が深すぎて、一度読んだくらいでは全然理解できないんだなっていうことが分かった・・😿
また少し時間を置いて読み返してみよう。
*1:世の中には悪い人と良い人が混ざっていて、ただお互いに絡み合って生きているから、あえて現世では裁かれたりしないけど、最後の審判で誰が良かったか悪かったかが明らかになる。だから、現世でも油断せず良い行いをしなさい的な話