【ホステスの読書日記】悪魔の勉強術
悪魔の要素はあんまり見当たらなかったけど、生き方を考えさせられる一冊。
キリスト教とはどんなものかを考える同志社大学の神学部の授業の書き起こしで、社会人でも十分楽しめるけど、学生のうちに読んでおくと確かにオトナになってからすごい生きやすくなりそう。
私、小さい頃に通ってた幼稚園がカトリック系だったから、キリスト教ってなんとなく知ってる気になってたけど、この本読んで全然だなって思った。
例えば聖書ひとつ取っても読みにくいのは、当時と今では世界の認識が変わって来たからなんて当たり前のことも気がつかず、読みにくくて難しいと投げ出していたなと目からウロコの気分。
常識の違いを分かった上で読まないと意味が通じないというのは、前にマキャベリの君主論を読んだときに身をもって体験してたハズなのに、どうも教典だし、現役で活躍してる書物だしって思って、考えすらしなかった。笑
「天使は知恵に読み替えると分かりやすい」とか、「地球は水平から球に変わったから天は心の中と読み替えると分かりやすい」とか、言われてみたら当たり前なんだけどそういう小さなことの積み重ねが興味をそぐんだろうな。
ちなみに天を心の中に読み替えることを提唱したのがドイツのシュライエルマッハーって人らしいんだけど、この人が大学教育は専門に偏りすぎず教養をつけさせるようにするべしと言ったしたことで回り回って今のドイツの好調につながっているらしい。しかも、ドイツのステイタス高い職業が神学系の職種というのも、日本と価値観違いすぎてびっくり。
枝葉の言葉尻の違いはもちろんだけど、人生観もキリスト教徒と日本人の感覚はやっぱり違うと思う出来事もたくさんで、国際進出とかグローバル化とか言って中途半端な英語勉強するよりも、お互いの価値観を知ることの方が大事よねぇなんて思う。
時間の考え方もそうで、日本人はどちらかというと円の時間だけど、キリスト教徒は線の時間感覚を持っているんだそうな。
この「線の時間感覚」は人生に終わりがあることを明確に意識するってことらしいんだけど、エンドは終わりであり、目標と考えるんだそう。キリスト教徒にとっての最後の審判は人生の完成で神の国に入るのがゴールなんだって。で、時間も神様に与えてもらっているものだから、神様の栄光のために使うのが良しと考えられているらしい。
そう考えると海外の人たちが無駄な残業を嫌ってピシッと帰るし、日本人と仕事観が相いれないのもそういうところなのかなぁなんて思ったり。。
あともう一つなんとなく、腑に落ちた感じがあったのが「予定説」「毒麦のたとえ」の下り。
生きているのは現世だから、悪い人も混ざってくる。芽が出てくると悪いものだというのは分かるけど、むやみに抜いて捨てるのはダメ。根が絡まっているから悪い麦を抜こうとすると良い麦まで抜けてしまう。だから良い麦も悪い麦もそのまま最後まで生やしておくけれど、最後に悪い麦は燃やされて、良い麦だけが収穫される。これが最後の審判。
by.悪魔の勉強術
「予定説」っていうのは、正しい人・救済される人というのは初めから決まっているって説で、キリスト教徒(特にプロテスタント)は、自分は正しい方にいるから、神様の栄光のために有意義に生きようって日々前向きに過ごしていくんだって。で、「毒麦のたとえ」というのが、現実問題として悪い人たちが自分たちの人生に何らかの形で関わってきたときにむやみに叩いたりしないようにということみたい。
小さいころから宗教を通して、こういう人生を上手に生きるための考え方を学んでいたら、そりゃ民族として成功するよなぁって思う。かたや日本の教育なんて戦後のGHQの政策でめちゃくちゃにされて、核家族化で先人の知恵みたいなのは継承されにくくなって・・・この先本当にどうなっちゃうんだろうか。苦笑
とりあえず、キリスト教的素養が全くない人はまず、神学の思考を読むようにと作中で紹介されていたので、近々これも読んでみようと思います。
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